エネルギー療法

「治してあげる」ことへの違和感

どんな名医であっても、


「私があなたを治してあげる」
というところに立った瞬間、僕は少し違和感を覚える。
もちろん、医療にしかできないことはある。
診断すること。手術すること。薬を使うこと。
そこを否定したいわけではない。
ただ、「治す人」と「治してもらう人」という構図ができてしまうと、
治す力は向こうにあって、自分は受け取る側になる。
すると、その人がもともと持っている治癒力まで、
少しずつ働かなくなってしまう。
僕はそう考えている。
身体が傷ついたとき、直していくのはその人の身体だ。
医師は、その回復を助ける人。
ヒーリングも、きっと同じだと思う。

「あなたを変えます」ではなく、
「あなた自身の力が動き出す時間をつくります」。
僕は、こちらのほうにずっと惹かれてきた。
外から見ると、苦しそうに見える


サナギから蝶が出てくるとき、


手を貸すと、うまく羽を広げられなくなるという話がある。
科学的には単純化された話だけれど、このイメージはずっと残っている。
外から見れば、苦しそうだ。
「助けてあげたい」と思う。
でも、その苦しさの中でしか進まない時間もある。
「早く楽になったほうがいい」という善意が、
その人が感じている時間を、奪ってしまうことがある。
助けることと、奪ってしまうことは、思っているより近い。

僕が必要なくなること


もし僕が「この人は、僕がいないと変われない」と思っていたら、
それはヒーリングではなく、依存をつくっているだけだ。
自分の感覚を、自分で感じられるようになった。
自分で選べるようになった。
身体を、自分のものとして感じられるようになった。
そうなったら、僕はいつか必要なくなっていい。
それがいちばん嬉しいことだと思う。


一ミリの微調整


僕が相手を一ミリ動かすのではない。
その人が、自分で一ミリ動ける余白をつくる。
あるいは、「今日は動かない」と自分で決められる余白をつくる。
それくらいでいい。
ヒーリングとは、誰かを変える技術ではなく、
その人自身の変化を邪魔しない時間なのかもしれない。
人を治す人ではなく、
その人の力を、その人自身に返していく人でありたい。
一ミリの安らぎ。
一ミリの微調整。
それが、今の僕にとってのヒーリングだ。